そろばん学習

2022/09/08

第9回 「本質をつかむ頭を作る3つの方法」

読解力を身に付ける方法は?

中学3年の男の子を持つ母です。中学3年は受験の学年であり、
本人にとってはとても大切な1年になると思います。
親が子どもの勉強内容にいちいち口を出すのはよくないのですが、
うちの子は国語ができません。

本を読むことが嫌いで、普段から本を読むよう言っていますが、
部活動に夢中になり、それどころではありません。
国語は読解力が大切だと思いますが、
どうも文章を読んでも何が言いたいのかよくわかっていないようです。

そういう調子ですから、国語の対してはやる気も起こらないようで、
傍で見ている私の方が焦ってしまっている状態です。
国語の読解で何か良い方法がありましたら、教えていただけますでしょうか。
(仮名:瀬沼さん)

文章内の本質が見抜けるようになるためには

国語は私がもっとも嫌いで、できなかった科目でした。
お子さんの気持ちよくわかりますね。

ただの活字の羅列を眺めて、先生からは「言いたいことは段落の最後にある!」
と言われ、その部分を解答しても「ちがう!」と言われて、
「え?」と感じたことばかりでした。もちろん本を最後まで読むことなどあり得ません。

読書感想文は本の後書きだけを読んで、書いていました。
私はこのような調子でしたので、お子さんがどのように国語を見ているか
痛いほどよくわかります。

しかし、その後、あることがきっかけで、「いいたいこと=本質」がわかるようになり、
それ以降は「何だ、たいしたこと言ってないな」と感じるようになったのです。

文章というとすべて活字で記述され、せいぜい段落で分けられているぐらいですから、
眺めていても、どれが最も重要であるかはわかりませんね。
しかし、言いたいことは1つか2つしかありません。

ちょっと話がそれるようですが、一般の企業では実に多くの課題を抱えています。
順調にいっているように見えても、実は内部では多くの問題があるのです。
それを上手に解決していくと成長していくのですが、
実はそのときに「根源的問題は1つかせいぜいあっても2つしかない」
という視点で見ていくと解決していくのです。

表面的問題に目を奪われると、本質を見誤り、さらに事態を悪化させるのです。
しかし、根っこが見破れると、ドミノ倒しのように末節問題が解決します。
これはちょうど、国語の文章で「何が言いたいか=本質」を見破る方法と似ています。
そういう意味では、国語の勉強も一般社会で役に立つかもしれませんね。

では、どうすれば本質を見切れるのか。
国語の授業ではこのように指導すれば見切れるようになるという方法はありますが、
ここでは家庭でできる3つの方法についてお話しましょう。

1.全体像がわからないと本質はわからない

人の話をきいていて、部分的な話をされても何がいいたいのか、さっぱりわかりません。
部分的(限定的)だと、その情報だけで考えなくてはならず、
核心部分を捉えることが難しくなります。
(途中で人々の話に入っていっても、よくわからない)

しかし、全体の話がわかると、何がいいたいことなのかわかってくることがあります。
これは「ストーリーという流れ」がわかることで理解できるようになるのです。
歴史の勉強も、1ページ目から断片的知識をコツコツ学習するよりも、
まずは細かい部分を適当に読んで、全体像を捉えるようにするとよいのです。

歴史のマンガや簡単に読める薄い教科書あたりで、
ざっと読み流して全体の流れを捉えてから、細かい勉強をしていくと、
何が重要度高く、何が低いかということがわかってきます。
人は一般に、「全体の流れ」がわからないと理解できず、
理解できないと本質はわからないものなのです。

そこで、ちょっと国語のお話をしておきましょう。
多くの国語ができない生徒は、活字で印刷された文章をみて、
「こんなにあるのか」と気持ちがうんざりしているのです。
これでは読む気力はでてきません。そこで、こういうことをするといいのです。
それは、「段落分け(細分化)」です。段落分けは学校でもよく授業でやりますね。
しかし、ただ分けるのではなく、その段落以外見えないように隠してしまうのです。

国語が嫌いな子は、文章を読むことが面倒なので、
まずは「ひと段落」だけを見えるようにして、その段落だけに集中できるようにします。
すると、「文章全体を読むのは、かったるいけども、たかが数行程度の、
ひと段落であれば、読んでみてもいいか」と思い、目の前のことだけに集中します。
そしてその後、「結局この段落は何がいいたいの?一言でいうと?」と聞きます。
すると、生徒は何となく感じた印象を答えていきます。

このように、段落という「全体像」をざっと読んで、何を言っているかを
捉える訓練をすると、本質が見えるようになっていきます。
これを繰り返すと、文章全体の本質がわかるようになります。

2.抽象(わかりにくい文章)と、具体(わかりやすい文章)が区別できるようにする

文章は、わかりにくい文章とわかりやすい文章とで構成されていますね。
わかりにくい文章は難しい言葉で「抽象文」といいます。
わかりやすい文章を「具体文」といいます。
国語の問題では、「抽象文」が答えになります。なぜでしょうか。
具体文はあくまでも具体例として一つの例を挙げているにすぎないので、
それが答えだと、その他の事例はダメなのか?ということになるからです。
抽象文であれば、ぼかして漠然としていますから、どのような事例も含むことになり、
どのような事例も適用できる万能な文になっているので、これが答えになるのです。

(どのようにでも解釈できるため)会話も、文章も、抽象文でまとめて、
具体文でわかりやすく説明するという構造になっていますが、
生徒はこのようなことを知りません。全て同じ言葉であり、同じ文にしかみえていません。
そこで、こういう訓練をするのです。

具体的な話ばかりであれば、「結局どういうこと?」と聞いてみます。
すると、「抽象的な言葉や文」でまとめるようになります。
わかりにくい話(抽象文)であれば、「それは例えばどういうこと?」と聞いてみます。
すると「具体的な言葉や文」が出てきます。

この「抽象と具体の往復」を日常で行っていると、
話をしている本人も説明が上手になり、
国語の文章も同様の構造になっていることがわかるようになるでしょう。

3.学んだことを説明させる

私は塾で授業をしていたとき、よく次のような方法を使って
生徒の理解力を確かめていました。

私:「では、これで説明終わったけれど、わかったか?」
生徒たち:(多くの生徒がうなずく そこで私は)
私:「じゃ山口君、もう一度説明してみて」
山口君:(え!という顔して)「・・・」
私:「わかったら、説明できると思うけども、どうかな。それでは木内さんはどう。」
木内さん:「・・・」
私:「わからないのに、わかった反応をしちゃだめだ。
わからなければ、わからないと言わないと。
では、わかっていないようなので、もう一度説明するよ。」

このようなことは頻繁にあります。
1回の説明で全ての生徒が理解できるはずはありません。
しかし教える側は、決まったように「わかった?」と聞いて、
その後、次の単元に移ってしまうことが少なくありません。

このようにして、「わからない状態のまま→落ちこぼれ誕生」となっていきます。
わからないことは、わからないと言ってくれればいいのですが、
生徒はなかなか場の雰囲気を気にするのか、正直には言いません。
そこで、「生徒に説明させる」ということをやったのです。
説明させてみると、生徒も自分が理解しているのかいないのかが、はっきりわかります。
そして自分の言葉で説明できると、当事者意識が出てきて何が一番重要なことか、
本質なのかがわかってきます。

まとめ

このように、3つの方法についてお話してきました。
本質というと何か難しい言葉のように思いますが、「要するに何?」という部分のことです。これが捉えられると、あとは枝葉末節という飾り付け部分で、
表現をもう少し細かくしていくだけです。
「要するに何?」と自問自答すると、自然とどうでもよい部分は切り捨てられ、
「単純化された言葉=本質」が出てくることでしょう。

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